

夫のために祈る
夫婦のために祈る
家庭という名の教会のために祈る
主を自らの喜びとせよ。
主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇 37:4-5
全く別の二人の人間が調和を保ち、一致した心で主に使えるには、普段からの努力とコミュニケ ーションが必要だと感じます。育った環境や地域文化、常識や習慣など、似通ったものもある中、正直異なることの方が多い夫婦も少なくないと思います。喧嘩腰になったり、歪みあったり、また諦めたり我慢したりするのではなく、主に心の内をあかし、主が成し遂げてくださることを信じて祈りましょう。
主により家族の頭としてたてられた夫たち。一家を担う責任を感じ、それに伴う不安や恐れを感じることもあるようです。仕事を失ってしまったらどうしよう、大病に罹ったら、事故に遭ったら。また、子供に尊敬してもらえているのだろうか、妻に自分の仕事の立場を理解してもらえない、など、孤独に対する恐れもあるかも知れません。夫が主に助けを求め、恐れずに雄々しくあるように、共に祈り合いましょう。
誘惑と一言で言っても色々あり、人それぞれ、また人生の歩みの中でも変わってくるものだと思います。お金、地位、権力、薬物、ポルノ、ギャンブル、また、最近ではソーシャルメディアなどで「いいね」を集めることに没頭したりと、人によって惹かれていくところは様々です。そのようなものが目の前に現れたとしても、自ら遠ざかり、いのちの水を飲むことができるように、夫の為に祈りましょう。
日本では主に夫が経済的な柱となり、家族のニーズを補い、責任を担っているという家庭が多いと思います。その中で、妻である私たちは、どれだけ夫が楽しみながらやる気を持って、または感謝の気持ちを持って仕事をしているか理解できているでしょうか。もしかしたら仕事に没頭しすぎて目的を見失っているかも知れません。会社でのプレッシャーに苛まれていたり、トラブルに巻き込まれていたり、嫌気がさしてやる気を失っているのかも知れません。会社での人の評価は往々にして辛辣で、家族には打ち明けられない重荷を負っているかも知れません。夫が主に仕え、判断基準を主の道に置き、委ねることができるようにお祈りします。
人は選択肢を与えられると、その場で最も良いと判断される選択をしようと努力するものです。しかし、人間の決断は、世の中の価値観に左右されやすく、本来の目的を見失ってしまうことがあります。例えば、休暇の過ごし方、子供の誕生日のプレゼント、引っ越し、転職、進学など、大小様々な決断が私たちを悩ませます。選択肢が増えるほど、私たちは神様の真理を見失いがちです。夫が、自分自身や家族のために、そして神様を栄えさせる最善の選択ができるよう、共に祈りましょう。
女性が、妻、娘、友達、同僚、母などの役 割をその場に応じて果たしているのと同様に、夫である男性もまた同じように様々な役割を日々果たしているはずです。どのような日常を送っていても、子供たちからすれば父親であり、一番身近にいる影響力の大きい男性である夫が、天の父なる神様と良い親子関係が築けるように、またその良い関係を子供たちにも示し導くことができるようにお祈りします。
「試練」とはよく言ったもので、人間誰もが通る苦悩や苦難の際にこそ、品性が試され、また練られるものです。どんなに穏便な夫でも、いつも明るい笑顔を絶やさない旦那さんでも、多かれ少なかれサタンからの挑戦を受けることは回避出来ない事実です。愛する人が苦難に苛まれている時、私たち妻としてできることは、まず主に祈ること。人間的な道案内をするのではなく、また夫の鍛錬の妨げになるようなことをしないように、主に助けを求め、夫が苦難を通して学びそして気づきが与えられ、将来への希望を見出せるように、とりなしの祈りを捧げましょう。
「黒歴史」という言葉があるのを最近知りました。人には言えない過去の体験や、無かったことにしたい過去の言動、と言うような意味で使われるようです。過去に自ら引き起こしてしまった苦い出来事や、また自分ではどうすることもできなかった辛い経験などの中には、世間一般で言う「黒歴史」と言う枠からさらに奥底の鍵のかかった場所にしまわれているものもあると思います。今日は夫のために、神様の真実の光が暗闇を照らし、罪悪感や恥辱、自己嫌悪、トラウマのようなネガティヴな思考から解放されるように祈りましょう。
私たちは信仰により救われた者として神様の道に歩む事ができます。でも信仰の道は決して楽で楽しい時ばかりではありません。神様のやり方や方法に疑問を抱いたり、祈っても叶えられないことに苛立ったり、時間的に余裕がなく神様の時間を疑ったり、という経験、心当たりある方も多いのではないかと思います。知らないうちに聖書の教えから外れた方向に向かっている、何てことがないように、夫の信仰が堅く立ち、主の教えを喜びとして歩んでいけるよう、お祈りしましょう。